東京タワーやスカイツリー、あるいは高層ビルやタワーマンションまで、人は高い建物に登りたがる。その理由は、そこからの景色だ。街を一望できるその景色を求めて、人は高いお金を払うのである。では、一体なぜ人は高いところからの眺望を求めるのか。
眺望とはなんなのか
高いところから街を見下すことの何が面白いのか。展望台にいる人々の会話を聞くと、「ここからでも富士山見えるんだ」とか「あそこが新宿かな」とかいった会話をしている。もちろん、場所が変われば見えるものは変わるが、この会話の内容はあまり変わらないだろう。
こういった会話の本質は何なのか。人は知っている場所や見たことのない建築物を見渡して、それがこの場所からどのように見え、どこにあるのかを話している。つまり、自分のいるこの場所という一地点から、全体を見渡して、全ての見える場所をこの地点との関係性によって捉えていることである。すなわち、見えるものを全体として捉えることである。それが全体を上から眺めることによる特権なのだ。
通常、地上を歩いているときには、自分のいる地点からは、自分のまわりしかみえない。そのため、自分はその街のごく限られた一部分にすぎない。だが、展望台から全体を見渡すとき、自分のいる地点は、あくまでも一地点でありながら、全体を把握できる地点になっている。つまり、高い場所というのは、全体に対して、優越的な地点なのである。
展望と知
人がこのような高い場所を求め、そこから全体を知ろうとすることは、人間のもつ知的好奇心に基づいているだろう。学問は、さまざまな個別のものから、その共通点を見つけて、より上位の概念を生み出す。つまり、個別のものをひとまとめにして全体を作り、その全体からものを考えていく。たとえば、人間から霊長類、哺乳類へと全体を拡大させていく。
このようにより高いところから全体を把握することで、物事の全体像を知ることができる。この全体像を知るということが、何かを知る上で大事である。アリストテレスは、個別の知識の集積と、全体像を知っていることを区別し、全体像に対する知を、大工で言うところの棟梁的な知としてより上位の知であるとした(『形而上学』)。個々のものをバラバラに知っているのではなく、それぞれがどういう関係をもっていて、どのように全体を作っているのかということがわかることで、全体から見て個々はどういう存在なのかがわかるようになるからである。
こういった人間の知的な好奇心の根底には、人間が自分や、自分と周りについて知りたいという本能があると考えられる。それは、安全を確保するために自分の周りの自然環境を知ることを求め、また集団内でうまくやっていくために自分の社会的な位置を知ることも求める。
社会的な位置とは、自分が社会・集団において、どのような立場・地位にいるのかを知ることであり、これは自分という一地点を集団という全体との関係で知ろうとすることである。
展望的認識の問題点
このように、人は外界を認識するときにも、自分自身について認識するときにも、自分を基準点として全体を認識しようとする。このような認識によって、外界や自分についての知が得られるのだが、この認識には、問題点が存在する。
それは、自分という一地点を中心に世界を組み立てることである。展望台で景色を見るのと同じように、自分という一地点は、全体を上から眺める特別な地点となる。そのため、全体に対して支配的な視線となり、全体を従属させるような認識になるのである。このことは、漫画やアニメの登場人物が、塔の上から辺りを見下すといった演出にも表れている。要するに、文字通り上から目線なのである。
そして、そのような全体を支配するような認識は、自分においてのみ当てはまる。展望台から見下ろしている自分は、自分の認識のなかでは、街を一望している特別な地点である。だが、見下ろされている街や人々は、自分が見下ろしていることは知らないし、関係がない。要するに、特別であり主人公気取りなのは自分だけであり、自分のなかでしか意味をもたないのである。
そのため、自分が全体に対してもっている特別な立ち位置を、そのまま社会に対して当てはめてしまうと、自分は世界の中でも特別であり、この世界は自分を中心としているのだというような勘違いが発生してしまう。これは、いわゆる厨二病であるが、厨二病はこのようなメカニズムをもっているといえる。
また、全体を一望する以上、個別のものに対する解像度は低くなる。展望台から夜景を見れば、本来はその一つ一つに暮らしが存在する人家の灯りは、ただの点になってしまう。そして、これを単なる点だと捉えてしまうことで、やはり全体化による個への暴力が発生するのである。
結論
結論として、人は高層ビルやタワマンなどから街を見下すことで、街を全体化すると同時に、全体化する視点をもっている自分を特別視できるのである。これが、高いところからの眺望が人気な理由だろう。そして、全体化は知にとって欠かせないが、自分を特別視しすぎることや個を軽視するなどの問題がある。