今回は、ショートコンテンツの人気について考察する。
ショートコンテンツとして念頭においているのは、TikTokやYouTube Shortといったプラットフォームに投稿されている1分未満の動画である。
ただ、このような動画コンテンツの他にも、ショートコンテンツ化されているものは多い。例えば、音楽においても、近年尺が短くなっているというデータがある(1)。スポーツでいえば、サッカーをより短い時間にしたスポーツが新しくできた(2)。このように、ショートコンテンツは、トレンドとなっているといえるだろう。
この記事では、まずショートコンテンツがどのような性質のコンテンツなのかを分析し、なぜ人気なのかを論じる。そして、ショートコンテンツを求め続けると、どのような人間・社会になりうるのかを考察する。
ショートコンテンツとは何か
まず、ショートコンテンツについて分析する。
ショートコンテンツとは、通常のコンテンツに比べて、極めて尺の短いコンテンツである。
そして、それが娯楽のコンテンツである以上、短い尺であっても、何らかの満足感を与えるものである。
ここにショートコンテンツの特殊性がある。それは、コンテンツの時間を極限まで削り、その時間に収めることのできるコンテンツ性、すなわちコンテンツの満足感のみを内容にする、というものである。
つまり、ショートコンテンツは、最も少ないコストでリターンを得られるコンテンツなのである。
ショートコンテンツが軽減するコストと与えるリターン
では、そのショートコンテンツが削ったコストと、与えるリターンについて論じる。
コスト
コストというと、通常は金銭的なコストを指すが、今回扱うのは、コンテンツを実際に見るとき、すなわち消費する際のコストである。仮にそのコンテンツに金銭的コストがかかっていたとしても、それは購入時のコストであり、消費時ではない。事態はサブスクになると顕著で、月額の見放題なので、一度加入すれば、個々の作品を視聴する際の金銭的コストを意識することは少ないだろう。
では、なにがコストなのか。
それは、第一に時間である。時間は通常のコンテンツを消費する際の最大のコストであり、ショートコンテンツがもつ優位性でもある。
第二に、知的努力を要求することである。コンテンツ一般が全て頭を使うわけではないが、いわゆる名作は、視聴者に対して、考えさせることが多い。
第三に、心理的忍耐・辛抱強さ(patience)を要求することである。長尺のコンテンツは、単一の感情を喚起するのではない。ハッピーエンドだとしても、結末に至るまでには、いくつかの苦難があるだろう。また、長尺のコンテンツは、すべてのシーンをパンチラインにすることはできない。そのため、説明のシーンや、オチに向けた準備段階のシーンなどが含まれる。これらのシーンは当然、そのコンテンツの美味しいシーン=パンチラインに比べれば、退屈である。
したがって、こうした負の感情や退屈さに耐える心理的な忍耐が要求される。忍耐と大袈裟に表現したものの、ショートコンテンツと比べればの話であり、以前はこれを忍耐とはみなさなかったのだろう。
リターン
ショートコンテンツにおけるリターンは、通常のコンテンツと比べると特殊なものとなる。それは、コンテンツの時間的制約により、リターン、すなわち満足をもたらす方法が異なるからである。そのような特殊な満足感を表現するには、次のような表現が適切だろう。
・単純
・直感的
・わかりやすい
ショートコンテンツにおけるリターンは、このように、短い時間の中でも伝わるようなものである。具体的にいえば、美味しそうな食べ物だったり、可愛い動物だったり、笑える失敗だったりする。こうしたものは、時間をかけず、頭を使わず、感情を揺さぶられず、誰もが同じように、同じ満足を得ることができるものである。
ショートコンテンツが人気な理由
以上から、ショートコンテンツが人気な理由は、以下の通りである。
1、最も楽に満足が得られる
2、その満足をもたらすものに、普遍性がある
楽に満足をもたらしてくれるのは、その時間的コストから明らかだ。
そして、普遍性は、短い尺であるがゆえに、複雑さをもたず、誰もが理解可能な満足をもたらすということである。
ショートコンテンツが蔓延するとどうなるか
では、このようなショートコンテンツがより流行り、コンテンツの世界を超えて、ショート的なものが蔓延したらどうなるだろうか。
考えられる事態として、以下のようなものがある。
・複雑で頭を使ったり、感情を揺さぶられるようなコンテンツ、つまり、コスト(=負荷)の高いコンテンツに価値が見出されなくなる
・自分の興味を掘り下げ、主体的・能動的に求めるものを決定しなくなる
一つ目の事態は、ショートコンテンツに慣れ、それのみを求めるようになれば、ショートコンテンツ的なもののみが評価されるようになるので、妥当だろう。
二つ目の事態は、以前の記事で扱ったことをベースにしている。
まとめると、モノやサービスを購入するときには、二つのパターンがある。それは、リターン=満足優先型と低コスト優先型である。
前者の満足優先型は、コストを払ってまで何かを求めるため、最初から明確な求めるものが存在し、そのために自らコストを払う。これは、自ら目的をもった主体的選択である。
一方、後者の低コスト優先型は、そのコストの低さゆえにそれを求めるということであり、あらかじめそれを求めていたわけではない。これは、安売りにつられて買ってしまうのと同じ心理である。この場合、主体的な目的意識がなく、コストの低さに受動的になっているといえる。
このように、楽で分かりやすいものに、受動的に流されていくことが、個人の幸福や社会全体の幸福度にとって、どのように影響するのかは、また別の記事に譲らねばならないだろうが、おそらくあまり良いことにはならないだろうという予感はある。
注釈
(1)ソース:
https://www.jprime.jp/articles/-/22439?display=b
(2)https://en.wikipedia.org/wiki/Kings_League