最近、「なろう系」と呼ばれる作品が、ライトノベルやアニメに増えており、人気が増している。しかし、それと同時に、「なろう系」は「痛い」や「うざい」と言われてもいる。この記事では、なぜ「なろう系」が「痛い」と言われるのかについて考察する。
なろう系とは
なろう系とは、「小説家になろう」という小説投稿サイトにて、よく見られるパターンの小説のことだ。
そのパターンとは、大体以下のようなものである。
・主人公は、現実世界から異世界に転生する
・異世界は中世くらいの文明で、戦争中、あるいは魔物などの外敵がおり緊張状態である
・主人公は異世界転生の際に何らかの超能力を授かる
・その超能力を使って異世界で無双する
このパターンと多少異なる物語ももちろん存在するが、なろう系といえば、大体上記のパターンが王道である。[1-1]
以下、このパターンの物語を考察する。
なろう系はなぜ痛いのか
1、主人公の能力に必然性がない
なろう系では、大抵、主人公は転生をしただけで能力を得る。能力の獲得は、異世界に転生する際の特典として描かれることが多い。つまり、主人公の能力は、単なる幸運で獲得されたものであり、とくに修行や努力をしたわけではないのである。そして、その能力は、理不尽に強い。
このような、いわば棚からぼたもちのような甘い話に対して、「世の中を舐めている」といったような反感を買うことがある。
2、主人公に苦難がない
また、なろう系では、主人公にとっての脅威はほぼ登場しない。強敵らしきキャラクターは登場するものの、大した苦戦をすることなく、主人公に倒される。同様に、異世界の実力者と呼ばれるキャラクターも登場するが、彼らは噛ませ犬的な存在であることが多い。「実力者たちが倒せない相手をあんな簡単に倒した」といった具合だ。
このように、能力と同様に、大した苦労もせずに強くなり、強者だと尊敬されるようになる主人公に対して、「現実離れし過ぎている」や「ご都合主義すぎる」と言われることがある。
3、主人公が調子に乗っている
そして、このような主人公の努力とは全く関係なく手に入れた能力と境遇に対して、主人公は、「俺強えー」とすぐに調子にのる。
こうした主人公のダサさが、「痛い」や「うざい」と言われる原因だろう。
なろう系を痛いと思うかの基準
上記したように、なろう系が痛い理由は、主人公とその主人公の生きる世界にある。主人公は苦労せず能力を手に入れ、異世界で無双する。世界は主人公に好都合にできており、主人公は自分よりも強い相手に出会うこともなく順調に進んでいき、最終的には異世界において、戦闘力的にも、権力的にも最高の存在になる。
このように、なろう系は、主人公に対してご都合主義である。ということは、主人公目線に立てば、そのご都合主義な世界観に浸れ、満足できるはずだ。実際、なろう系が好きな人は、そのような世界観を、一人称視点で仮体験するのだろう。すなわち、主人公と自分を重ね合わせるのである。
それに対して、なろう系を好きでない人は、そのような主人公に感情移入できないし、自分を重ね合わせることもできないのだろう。この違いはどこにあるのか。
なろう系が好きな人にとって、なろう系のようなご都合主義の世界を抵抗なく受け入れることができるのは、その人が現実世界に対してもっている考え方が、なろう系に近いということだろう。つまり、なろう系の世界を受け入れることのできる人は、純粋に自分が自分の生きる世界の中心であると思える人である。
そして、なろう系の世界を受け入れられない人は、そのような世界の中心が自分であると思うことに抵抗をもっている人である。そのような人には、二つのパターンがある。
一つ目は、世界には多くの人々が存在し、それらの人々がそれぞれに生きている世界があり、その分だけ中心が存在すると普段から思っている人である。このような人は、精神的に成熟しており、自分が自分を中心に生きているように、他の人々もそれぞれ自分を中心として生きており、それを尊重し合おうと考えている人である。それゆえに、なろう系の物語の世界が、まるで主人公の自我のなかのように、すなわち、主人公を中心とした一つの巨大な世界かのように描かれ、他の人間がそのための役割に過ぎないことに抵抗を感じるのだろう。
二つ目は、自分が自分の生きる世界の中心であると思えない人である。こうした人は、人格形成において屈折を抱えており、純粋な自発性をもつことができない人である。こういった人は、成功者を妬み、スキャンダルがでると叩くような人である。こうした人が気に入らないのは、自分のために自分を中心として生きていけるまっすぐな自己中心性である。なろう系の主人公はその典型であるため、気に入らないのである。
なろう系はどのような意義があるのか
以上見てきたように、なろう系の文学や芸術としての価値は低い。ストーリーはテンプレートでかつ、ご都合主義で、これといった問題提起も、新しさもないからである。
しかし、なろう系は、主人公の自我がそのまま世界と化したかのような自己中心性をもった物語なので、この主人公の視点に立ってストーリーに入り込むことで、その主人公の自己中心的な世界を追体験できる。それによって、自分の生きる世界を自分中心に強固にすることができるだろう。これは、世界に対する主体性の回復、あるいは獲得を意味すると思う。
物語とは、主人公の主観的な世界を描き、作品の鑑賞者がその世界に没入することで、主人公の主観的な世界を生きるものである。仮に、物語の効用が、現実の鑑賞者の主観的な世界においても良い影響をもたらすというものであれば、なろう系もまたこの効用をもっており、しかもその効用に特化した形態であるといえるだろう。