哲学チャンネルのサムネ

沁みるを哲学する1 哲学チャンネルep.21-22

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今回は、沁みるとは何かについて、哲学的に考えていきます。

このテーマを思いついたのは、お正月に味噌汁を飲んだときでした。冬の寒い時期に、味噌汁を飲むと、温かく優しい味がまさに染み渡るように感じ、その瞬間に、ゆったりと落ち着くことができました。それはまさに「沁みる」としか言いようのない感覚でした。

そして、あらためて、この沁みるとはいったい何なのかについて考えてみたくなったのです。沁みるという言葉が表す体験は、沁みるとしか言いようがないような身体的な感覚であるため、これを言葉に表しながら分析していくのは大変かもしれませんが、今まで言葉にされず、曖昧なままになっていた感覚に新しく光を当てていくのも哲学的に考えることの醍醐味なのです。

 

沁みるものは何か

食べ物

まず初めに、具体的な沁みるものを考えていきます。沁みるという感覚は、どのようなときに感じるでしょうか。

まずは、食べ物を考えてみます。味噌汁の他には、お粥やスープなどが当てはまると思います。いずれも、寒い日に体を温めるような温かい食べ物です。冬に食べると、まさにじんわりと温まり、ゆったりとリラックスできます。

そして、味はどちらかというと薄味で、旨味があります。たとえば、焼き野菜や蒸し野菜なども、ただ野菜を焼いたり蒸したりしただけではありますが、旨みが凝縮し、塩を少し振るだけで、非常に美味しくなります。トマト、なす、かぼちゃ、玉ねぎなどはそのいい例でしょう。こうした野菜も、少し沁みるとは違うかもしれませんが、自然で体が喜ぶような味でしょう。

反対に、夏の暑い日に沁みる食べ物はなかなか思いつきません。夏に食べることの多い冷たい食べ物自体が、沁みる感じがしません。こう考えると、沁みるという感覚は、冬限定のものなのかもしれません。また、味の濃すぎるものや刺激の強いもの、たとえばファストフードやカレーなどは沁みないでしょう。

また、馴染みのない料理は沁みないでしょう。たとえば、ラジオでも例に出したように、インド料理やメキシコ料理などは沁みないような気がします。そもそも、味の想像がつかないかもしれません。私の体感的には、海外で食べる料理が、どこか口に合わなかったり、受け付けないように感じたりすることがあり、それを念頭に置いています。

それゆえ、沁みる料理とは、ある程度馴染みのある料理で、子供の頃から親しんできた料理に多いのかもしれません。あるいは、もしかしたら日本人にとっての馴染みの味というものがあって、和食は生まれながらに馴染みのある料理なのかもしれません。

結論としては、温かくて、あまり味が濃くなく、旨みのあるもので、馴染みのある料理が沁みることが多い、といえるでしょう。

音楽

次に、音楽について考えます。音楽の中にも、心に沁みる名曲という言い方があるように、沁みる曲があるでしょう。

具体的にどのような曲が沁みるのかを考えると、バラードやフォークソングのような曲ではないでしょうか。あるいは、クラシックなどにも沁みる曲があるでしょう。たとえば、スメタナの「我が祖国」の「モルダウ」などは、何か郷愁を誘うような物悲しげな曲調で心に沁みます。

JPOPで他に心に沁みる曲といえば、なにがあるでしょうか。最近再び注目されているシティポップなどはどうでしょうか。有名なところでは、竹内まりやの「plastic love」などがあげられるでしょう。よりオーソドックスに沁みる曲といえば、もっと王道な曲がいいかもしれません。googleで検索してみると、スキマスイッチの「奏」やアンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」などがありました。確かにどちらも心に沁みる名曲といえるでしょう。

このように考えると、沁みる曲に共通するのは、ローテンポであること、音数が多過ぎずどちらかというと静かであること、落ち着かせるような曲調である、またはマイナー調で郷愁を誘うような曲調であること、が挙げられるでしょう。

逆に激しくて、うるさめの曲や、テンポが早すぎる曲などは沁みるとは言えません。

共通点

このように考えると、食べ物と音楽でジャンルは異なるものの、沁みるものには共通するものがあることがわかります。それは、刺激が強くなく、優しく、じんわりとしたものであり、馴染みのあるもの、あるいは郷愁や思い出を思い起こさせるものであるということです。

次に、このことをより詳しく考察するために、具体的な体験を例に、沁みる体験とその対照的な体験について考えます。

 

沁みる体験とその正反対の体験

温泉とジェットコースター

味噌汁の温かさや体に沁みる優しい味、そして落ち着く感覚と似ている体験として、温泉があると思います。温泉は、まさにじんわりと温かさが体に沁みるものです。普通のお湯よりも、より肌に馴染むような温泉に包まれて、まるで身体が温泉の中に溶け出すかのように感じます。そんなある種の包容感を覚えるなかで、優雅にゆったりと時間を過ごし、日々の疲れを取り、精神的にも癒されることでしょう。

また入浴するということ自体にも、馴染みや郷愁のようなものがあるのではないでしょうか。特に、忙しい日々の中で、入浴の時間が取れないという人にとっては、お風呂に入るということ自体が贅沢な時間の使い方になるでしょう。

このように、温泉には上で挙げた、沁みるものの典型的な要素が含まれています。これと対照的なものとしては、ジェットコースターがあるのではないかと思います。

ジェットコースターは、じんわり優しく沁みるということはないでしょう。また、ゆったりとした気分や時間の使い方もできません。精神的に癒され、馴染みや郷愁を感じることもないでしょう。ジェットコースターに求める体験は、こうしたものとは正反対で、刺激、スリル、ドキドキ・ハラハラ、一瞬の爽快感、非日常といったものでしょう。

こうして、体験のなかでも、沁みる体験と沁みない体験の具体例とその違いを見つけることができました。

沁みる体験と沁みない体験の比較

この二つの体験の対照的な属性は以下のものであると思われます。

  • 早いか遅いか
  • 刺激の有無
  • 馴染みの有無

 

だいたいはこのような比較軸で、温泉とジェットコースターを対照的に比較できるでしょう。

ジェットコースターの場合、体験の時間は短く、早いものです。そして、一瞬の間に強烈な刺激があります。この刺激は普段の生活においては、得ることのできないものです。

温泉の場合は、ゆっくりとした体験でしょう。お湯に浸かり始めると、なかなか上がりたくないものです。そして、刺激もゆったりとしたもので、強烈な刺激が一度に押し寄せるわけではありません。まさにじんわりと沁みるといった感じでしょう。そして、温泉の場合は馴染みがあるとは言えないかもしれませんが、入浴をより沁みるようにした体験といえるでしょう。

 

まとめ

今回は、沁みるものとはなにかをいくつか挙げてみて、その共通点を探しました。そして、沁みるものと、その反対の沁みないものを比較するために温泉とジェットコースターを挙げ、その対照的な属性を考えました。

次回は、より考えを深め、沁みると沁みないを、今までの哲学チャンネルのテーマである日常と非日常と結びつけて考え、沁みる体験と沁みない体験に共通する目的である解放について考えます。また、日常生活の至る所でみられる冒険と安定についても、沁みる・沁みないといった概念を拡張して考えていきます。