【古代ギリシア哲学8−2】ソクラテスの裁判ー死刑判決の真相についてー

前回はソクラテスについて知る方法、ソクラテスの出自、容貌、人柄、周りからの評価などの基本的な情報について触れた。

今回は、そんなソクラテスがどうして裁判にかけられ、死刑判決を受けるに至ったかという裁判の概要を、ソクラテスの裁判を描いた著作『ソクラテスの弁明』に沿いながら明らかにしていこうと思う。

ソクラテスの裁判

『ソクラテスの弁明』について

ソクラテスは、紀元前399年にギリシアのアテナイ(現在のアテネ)で亡くなった。理由は、裁判にかかり、死刑判決を受けたからだ。その裁判の様子を描いた本が、『ソクラテスの弁明』(以後『弁明』と記す)という著書である。

この『弁明』は、哲学の入門書として、古くから親しまれてきた。著者はソクラテスの弟子のプラトンで、当時、実際に裁判を傍聴していた人物である。プラトンはこの著書に、誰がソクラテスを訴えたのか、それに対してソクラテスはどう反論したのか、また傍聴人の様子などを事細かに著している。そして、ソクラテスが人々から恨みを買いながらも、自分の信念を曲げずに、意見を主張する姿が鮮やかに描かれている。

裁判の進行

まず初めに、当時のアテナイにおける裁判について軽く触れておく。当時のアテナイの裁判は、くじ引きによって選ばれた500人の陪審員による陪審制であり、判決は多数決によって決まる。すなわち、裁判官は、事情をよく知らない普通の市民たちであった。そのため、いかに観客としての陪審員の同情をさそうことが重要であった。(1)

裁判の進行は、公判においては、原告側の訴えから始まり、被告側がその反論を行う。その後、原告との質問のやり取りを行い、一度目の投票を行う。この投票では、被告が有罪か否かについて決められる。そこで有罪が確定すると、再び両者の演説を挟み、二度目の投票を行う。そこでは刑の重さが決定される。(2)

『弁明』は、被告側の反論、すなわちソクラテスの反論から始まる。これは、プラトンは師匠であるソクラテスの無罪を訴える意図をもってこの本を著したため、ソクラテスの演説に焦点を当てるためであろう。実際、書名通り、ソクラテスの弁明に最も多く文字数が割かれている。

裁判の様子、ソクラテスの態度

裁判官が、一般市民である以上、彼らにわかりやすく語り、彼らの同情を引くということが裁判の戦略上重要になる。しかし、前述したように、ソクラテスはそんなことにはおかまいなしで、自分の正しいと思うこと、つまり自分の無罪を主張し続ける。(3)

彼は、自らが訴えられる原因となった活動について、なにひとつ不正や悪事はなく、これは神から遣わされた使命であると言い放ち、たとえ非難されようがこの活動をやめるつもりはないと宣言する。さらには、この活動は諸君のためになるし、自分は貧乏なのだから迎賓館で食事をさせろとまで言い出す。このような不遜な語り口に、法廷が騒然とし、演説が遮られるほどである。

このような傲慢で不遜とも取れるような態度によって、ソクラテスは、当初の原告側の想定以上の死刑が確定してしまう。陪審員や観客にとて、まさに、自ら死ににいくような狂気じみた様に映っただろう。しかし、このような態度、すなわち、自分の生死がかかっているにもかかわらず、決然と正しいことを主張し、それを行うという態度こそが、真実とは何か、善とは何かを追い求め続けたソクラテスを表しているといえるだろう。そして、哲学者のあるべき姿として、2000年以上に渡って、ソクラテスの名が挙げられ続けてきた理由だろう。

ソクラテスが訴えられた理由

ソクラテスの訴状

ソクラテスが裁判にかけられた理由は、メレトスを代表とした若者らに訴えられたからであった。その訴状は、

ソクラテスは不正を行い、また無益なことに従事する。彼は地上ならびに天上の事象を研究し、悪事をまげて善事となし、かつ他人にもこれらの事を教授するが故に。(『弁明』p.19)

あるいは、

ソクラテスは罪を犯す者である、彼は青年を腐敗せしめかつ国家の信ずる神々を信ぜずして他の新しき神霊を信ずるが故に(p.30)

というものである。

ここで重要なのは、

  • ソクラテスが神に背くよからぬことを研究し、神を信仰しない
  • そのよからぬことを人々に広めた

ということである。

このよからぬこととは、前回の記事で扱った、喜劇作家アリストパネスの記述から推察できる。アリストパネスは彼の喜劇において、ソクラテスを、アテナイの国家が信仰する神々を信じず、自然について研究をし、それを若者たちに高額の授業料をとって教えていると描いた。この描写が喜劇ゆえの誇張を含んでいたとしても、まったくのデタラメではないと考えられる。

まとめると、大衆のソクラテス像は、

  • 不敬虔であり、
  • 怪しげな研究をし、
  • それを金をとって若者に教えている

というものだった。

しかし、このいずれも、実際は、事実に反している、とソクラテスは主張する。

第一に、ソクラテスは自身を、敬虔な人間であると主張する。ソクラテスは、アテナイが祀る神々やオリュンポスの神々、いわゆるギリシア神話の神々に対して、きちんと儀式を行い、祭典に参加していた。このことを証言する人間もいると主張する。

第二に、ソクラテスは自身を何も知らない、すなわち無知であると称していた。そのため、自分が他人に教えられることなど何もないと証言する。このことについても、周囲の人間が証人となる。

第三に、前回の記事でも扱ったように、ソクラテスは他人と対話するときに、金銭を要求することはなかった。そうしたイメージが作られた背景には、当時流行していたソフィストの存在があったのだろう(詳しくはソフィストの回にて)。そもそも、自らを無知であると称する者が、何かを人に教えたり、さらには金銭を要求するということはできないだろう。

したがって、これら全てについてソクラテスは否定をし、さらにはその証人もいることになる。つまり、ソクラテスへの訴状は事実無根ということである。

では、そのような間違ったイメージを証言等によって覆せばいいのではないかと思うだろうが、ソクラテスによると、そのような悪評は、長期に渡って流布していたため、裁判における短時間の反論では効力を発揮しないのではないかと考えている。(『弁明』p.18)

なぜ悪評を流されたのかというと、それは、どうしてもソクラテスを有罪にしたい人々がいたからである。つまり、ソクラテスは恨みを買っていたのである。

誰が真にソクラテスを訴えたのか、その黒幕

ソクラテスは無実の罪によって訴えられた。そして、裁判中に自身が無実であることが、自身の証言や周囲の証言によって明らかになっていく。それなのにソクラテスは死刑判決を受けることになる。

それは、ソクラテスがアテナイの有力者に恨みを買っていたからである。

前述したように、ソクラテスを訴えたのはメレトスを代表とする若者らであった。しかし、ソクラテスはその背後に、彼らをそそのかしてソクラテスを有罪にしようとする人たちがいるという。彼らこそソクラテスを恨んでいたアテナイの有力者たちである。彼らは、長年にわたって、ソクラテスがよからぬ人物であるという風評を流していた。そのため、一般大衆は実際のソクラテスをよく知らずに、ソクラテスについての悪い印象を抱いてたのである。

そのアテナイの有力者とは、特定の個人ではない。彼らはソクラテスに対する悪評を流すことで、噂を広げ、印象操作を行った。つまり、はっきりと自分の名前でソクラテスを批判したのではなく、まるで現代のインターネットにおける誹謗中傷のように、匿名で悪評を拡散したのである。では、なぜアテナイの有力者集団がソクラテスの悪評をばら撒くという回りくどい方法をとったのか。それは、ソクラテスが彼らの行った有力者に対する議論・論駁が原因であった。それについては、次回詳しくみていくことになる。

まとめ

ソクラテスの訴状は、事実無根である。しかしそれにもかかわらず、伝統的なアテナイの神々を信じず、若者になにやら怪しげなことを吹き込んでいるソクラテス像というものが一般大衆に形成された。そして、反論虚しく陪審員の多数決によってソクラテスは死刑にされてしまう。ではいったいなぜソクラテスはアテナイの有力者の恨みを買い、一般大衆にも怪しげな人物であるとみなされるようになったのか。

それは、ソクラテスという人物があまりにも実直であったからだろう。ソクラテスは、全てにおいて、自分の正しいと思うことを行った。それは、自分の立場や利益を守るために、周りに忖度するのとは真逆のことである。その結果、前回も扱ったように、ソクラテスは、周りの市民から好奇の目で見られた。また、有力者を怒らせるようなことをし続け、敵を増やし、ついには裁判で死刑にさせられてしまった。

次回は、ソクラテスがアテナイの有力者を怒らせる直接の原因となった、ソクラテスの議論についてみていこう。

注釈

(1)『哲学の饗宴』pp.24-7

(2) 同上

(3)『哲学の饗宴』pp.27-8

参考文献

プラトン (1927)『ソクラテスの弁明・クリトン』 (久保勉訳) 岩波文庫

 

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荻野弘之 『哲学の饗宴』 NHK出版 2003年

 

 

内山勝利(他)編 『哲学の歴史』 中央公論新社 2008年