【古代ギリシア哲学1】哲学の始まり、哲学とは何か

哲学は古代ギリシアにおいて初めて誕生し、そこで高度な発展を遂げた。この到達点は、二千数百年たった現代でも繰り返し振り返られ続けている。哲学者と呼ばれる人間にとって、古代ギリシアの哲学は基礎的な前提知識であると同時に、批判や深化の対象として思想の尽きぬ源泉となっている。

そのような、古びることなく輝き続ける哲学の原点を探求していく。

 

哲学とはなにか?

哲学の始まりを問うためには、哲学とは何かが定義されなければならないだろう。しかし、哲学に対して、なんらかの一義的な定義を与えることは困難である。それは、哲学が極めて多様な知的活動を包括するからである。

たとえば、〇〇哲学という言葉は無数に存在する。法哲学、社会哲学、科学哲学などなど。そのそれぞれが、別々の対象に対して、哲学的なアプローチをする。このように考えると、哲学とは、さまざまな対象に対して、哲学的な方法を適用することのように思える。〇〇を哲学するなどという表現はそのような意味であろう。

しかし、この方法という点においても、哲学には多様性がある。たとえば、実存哲学などは、サルトルやマルセル等に代表されるように、日記や文学、劇といった形式を取ることがある。それは、実存哲学が、従来の哲学が抽象的で普遍的な人間を対象としてきたのに対して、特にこの私の個人的な生に着目し、生に潜む、より具体的な苦悩などを対象とするからである。他にも、オーギュスト・コントによって始められた実証主義は、従来の哲学を否定し、科学的な手法をとる。デュルケームの社会学なども伝統的な思弁的方法に代わり、社会学的な方法をとる。また、西洋哲学の歴史を振り返ると、常にキリスト教の影響が強く存在する。

そのように考えると、哲学とは一体なんなのか、よくわからなくなる。実際、人によって言っていることは違う。では、哲学がなんなのか分からないという結論を出してもよいのかというと、そうでもないように思える。哲学とはこれだとはっきり言うことはできなくても、あるいは言った途端に反例を認めざるを得ないにしても、そこには2400年以上続いてきたなんらかの共通する知的な態度があるように思えるからである。

その態度とは何なのか、それは一口に言うことはできない。過去の哲学に触れ、哲学者がどのようにものを考えたのかを追体験しながら、哲学的なものの見方を身につけていく。そして、折に触れて、日々の生活で、自分を顧みるときに、身につけた哲学的な見方を実践する。そうすることで、徐々に一人一人の中に哲学とは何かの輪郭が形成されていくと思う。哲学は、世界の探求であると同時に、自分自身に対する探求である。というよりも、哲学は、世界と自己の探求が相即不離であるような領域に導いていく。それが哲学の最大の魅力だろう。

 

哲学はいつ始まったか?

さて、哲学とは何かについての答えを保留したまま、哲学の始まりについて考える。

哲学はいつ、誰によって始まったのかという問いに対して、哲学の教科書は、「紀元前6世紀の小アジア、イオニア地方にあるミレトスのタレスという人によって始まった。」と答える。

この極めて明確な解答は、アリストテレスによって最初に与えられた。つまり、ここにはアリストテレスの持つ、哲学に対する考え方が反映されているといえる。

次回から、タレスをはじめとするイオニア学派の人々の思想を見ていきながら、アリストテレスの考える「哲学とは何か」に接近していこうと思う。